名古屋サウスサイド バイブル バプテスト教会は伝統的・保守的なバプテストの教会です。


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2018年7月8日(日曜日)

「本当に必要な備え〜聖書に見る人生の法則〜」

カテゴリー: - kayo @ 10時00分00秒

「本当に必要な備え〜聖書に見る人生の法則〜」
 第2回「神が用意した備え」創世記1〜3章ほか

 1.天地創造(1章)

  ‥恵亘物は神によって造られた。

  ⊃佑録世里たちとして造られた。

  神によって創造されたものはすべて、非常に良かった。

 2.エデンの園(2章)

 神が人のために用意したエデンの園には、生活の必要が
 すべて備えられていた。人は、「善悪の知識の木からは、
 食べてはならない」という神の命令さえ守れば良かった。

 3.命令を破った結果(3:1-13)

 善悪の知識の木の実を食べた結果、人に罪が入り、神から
 身を避けるようになった。こうして人はエデンの園を出て
 いき、神が用意して下さった恵みを受けることができなく
 なってしまった。

 4.回復の道(3:14-15)

 「女の子孫」すなわちイエス・キリストを信じる者は、
  罪赦され、永遠のいのちを頂ける。
  そして神と和解し、神の恵みを受けることができる。
  イエス・キリストこそ、神が私たちに用意して下さっ
  た備えである。
 「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの
  主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23)」

                   (文責:小山淳也牧師)


2018年7月1日(日曜日)

「これらの証しは真実である」ヨハネ21:24-25

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「これらの証しは真実である」ヨハネ21:24-25

 1.これらの証しの信頼性(24節)

 「これらのことについて証しし、これらのことを書いた者は、
  その弟子である。私たちは、彼の証しが真実であることを
  知っている。」

 ヨハネが書いたことは、彼自身が目撃し、体験したことの証言
 である。彼はそれらを聖霊の守りと導きのもとで記した。
 それゆえ、これらの証しは全て真実である。

 2.結び(25節)

 「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ
  一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められな
  いと、私は思う。」

  ,海諒_蚕颪暴颪れているイエスのみわざは、一部である
   ヨハネは、ここに書かれていない多くのことを直接的に、
   あるいは間接的に見てきた。それらがあまりにも沢山ある
   ので、それらを全て書き記すことはできないというのであ
   る。そこで、数多くあるしるしの中からいくつかを選んで、
   書き記したのである。

  ▲ぅ┘垢里澆錣兇蓮△海海房まりきるものではない
   イエスは、今からおよそ2000年前に活動されただけではな
   く、その後使徒たちの間に、そして、後世のクリスチャン
   たちの内に働いてさまざまなことを行っている。ヨハネの
   福音書はこれで終わりだが、福音の物語はまだ続いている
   のである。

                   (文責:小山淳也牧師)


2018年6月24日(日曜日)

「それぞれの使命」ヨハネ21:20-23

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「それぞれの使命」ヨハネ21:20-23

 1.ペテロの好奇心(20-21節)

 「ペテロは彼(ヨハネ)を見て、『主よ、この人はどうなのですか』
  とイエスに言った。」

 ペテロとヨハネは元漁師仲間。イエスに召し出される前から一緒
 だった二人は、互いを意識していたようである。自分が殉教の死
 を遂げることを予告されたペテロは、「では、ヨハネはどうなる
 のか」ということが気になったのである。

 2.イエスの戒め(22節)

 「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとして
  も、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従い
  なさい。」

 キリストの弟子にとって大切なのは、ただ自分の召しに忠実に
 歩むこと。ペテロにはペテロの、ヨハネにはヨハネの、それぞれ
 異なる使命がある。他人への好奇心(野次馬気質)は、かえって
 自分の歩みを邪魔してしまう。

 3.間違った噂(23節)

 クリスチャンたちの間で「ヨハネは死なない」という噂が広まっ
 た。しかし、それはイエスのことばを断片的に聞いたことによる
 誤解であった。イエスは「わたしの再臨までヨハネが生きるよう
 に、わたしが望んだとしても」と言っただけである。

                   (文責:小山淳也牧師)


2018年6月17日(日曜日)

「ペテロの使命」ヨハネ21:18-19

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 「ペテロの使命」ヨハネ21:18-19

 1.ペテロの最期の予告(18-19節)

 「まことに、まことに、あなたに言います。あなたは
  若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを
  歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、
  ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて
  行きます。」

  以前のペテロは自分が考えた人生を歩んでいた。
  イエスと出会う前は漁師として働き、自分の腕に自信を
  持っていたことだろう。イエスに出会ってからも我の
  強さが見え隠れしていた。イエスを主としながらも、
  まだ自分が主役となっていたのである。
  これからのペテロは、自分の思うように歩まない。
  「望まないところに…」とは、殉教の予告である。

 2.ペテロの再出発(19節)

  「わたしに従いなさい。」

  主を3度否定してしまったペテロは、再び立ち上がって
  イエスに従った。そして彼は、聖霊の力によって変えら
  れていった。

 3.私たちがなすべきこと

  ペテロのように、私たちも聖霊の力によって変えられて
  いく必要がある。私たちが聖霊に満たされて、その力に
  おゆだねする時、主が私たちを通して御業を現し、豊か
  な実を結ぶのを見るようになる。

                   (文責:小山淳也牧師)


2018年6月3日(日曜日)

「新たな使命」ヨハネ21:15-17

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「新たな使命」ヨハネ21:15-17

 和解の食事の後、主イエスはペテロに
 新たな使命を与えた。

 1.「わたしの子羊を飼いなさい」(15節)

  幼い(年齢的に、あるいは救われて間もない)信仰者を養い、
  育てるよう命じた。
  具体的には、霊の乳(みことばの乳)を与えることである。
  (汽撻謄2:2)

 2.「わたしの羊を牧しなさい」(16節)

  大人の信仰者を世話するよう命じた。
  具体的には、群れを導き、守ることである。(信者のケア)

 3.「わたしの羊を飼いなさい」(17節)

  大人の信仰者を養い、育てるよう命じた。
  具体的には、乳ではなく固い食物(みことば)を与え、
  成熟へと導くことである。(ヘブル5:12-6:3)

  ペテロに与えられた使命は、教会に与えられた使命でもある。
  私たちはこの使命のために世から呼び出され、一人一人に
  主から役割が与えられているのである。
  自分に与えられた役割が何であるかを祈り求め、その役割を
  通して、教会に与えられた使命を全うしていこう。

                   (文責:小山淳也牧師)


2018年5月27日(日曜日)

「主イエスとの和解」ヨハネ21:9-14

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「主イエスとの和解」ヨハネ21:9-14

 1.焼いた魚とパン(9-11節)

  ガリラヤ地方においては、焼き魚とパンは一般的な食事であり、
  弟子たちにとっても馴染みのメニューである。
  イエスは夜通し漁をしていた弟子たちのために朝食を用意して
  いたのである。

 2.和解の食事(12-14節)

  この食事はただの朝食ではない。
  ユダヤ的には、この食事は「和解の食事(契約の食事)」である。
  イスカリオテのユダだけでなく、十二弟子はイエスを裏切った
 (イエスが捕らえられた時に皆、イエスを捨てて逃げてしまった)。
  弟子たちが新たな歩みを始めるためには、復活の主イエスとの
  和解がどうしても必要だったのである。

 3.主イエスと和解せよ(黙示録3:20)

  私たちは、バプテスマを受けて主に従う決心をした時から
  キリストの弟子としての歩みが始まった。
  しかし、弟子たちのようにイエスから離れてしまうことがある。
  でも、そのような私たちにイエスは新しい召命(福音宣教のための使命)
  を与えて下さる。
  つまり、私たちも和解の食事に与あずかることができるのだ。
  「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、
   わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに
   入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

                   (文責:小山淳也牧師)


2018年5月13日(日曜日)

「舟の右側に網を打ちなさい」ヨハネ21:1-8

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 「舟の右側に網を打ちなさい」ヨハネ21:1-8

 1.「私は漁に行く」(1-3節)

  元漁師だったペテロは他の弟子たちとともに
  ティベリア湖(ガリラヤ湖)で漁を始めたが、
  その夜は何も捕れなかった。
  実はここに神の摂理が働いている。
  彼らの使命は、もはや魚を捕ることではないのである。

 2.「舟の右側に網を打ちなさい」(4-6節)

  イエスは岸辺から弟子たちに、舟の右側に網を
  打つよう命じた。
  普通は舟の左側に網を打つところだが、反対側に
  打つようにとの助言である。
  彼らがその通りにすると、おびただしい数の魚が
  捕れた。
  ルカ5章の「大漁の奇蹟」と同じような出来事が起きたのだ。

 3.「主だ」(7-8節)

  大漁の奇蹟を経験していたヨハネは、岸辺にいる人が
  主イエスであると気づき、ペテロに「主だ」と言った。
  そしてペテロも気づき、すぐに湖に飛び込んだ。
  あまりの嬉しさに、からだが先に動いてしまったようだ。
  大漁の奇蹟は、ペテロがキリストの弟子として歩み始めた
  きっかけである。
  2度目の大漁の奇蹟を通し、彼は主イエスから召命を受けた
  時のことを思い出し、初心にかえったのだろう。
  クリスチャンにとって、救いやバプテスマ、あらゆる
  決心の時は宝である。
  主はその時のことを思い起こさせて下さり、私たちを
  初心にかえらせて下さるお方であ。

                    (文責:小山淳也牧師)


2018年5月6日(日曜日)

「見ないで信じる人たちは幸いです」ヨハネ20:24-31

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 「見ないで信じる人たちは幸いです」ヨハネ20:24-31

 1.トマス(24-25節)

 「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、
  その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」

  トマスは疑い深く、「この目で見なければ信じません」
  という人だった。
  ガリラヤに行くはずの弟子たちがなおエルサレムに
  留まり続けたのは、トマスのこの態度が影響したのだろう。

 2.トマスの前に姿を現すイエス(26-29節)

  トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」
  トマスの信仰告白は、イエスの神性を証ししている。
  疑い深いトマスが、イエスの神性を証明するために
  用いられたのだ。
  イエスは彼に言われた。
 「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで
  信じる人たちは幸いです。」
 「見ないで信じる人たち」とは、後にイエスを信じる
  人たちのこと。
  私たちは、聖書を通してイエスを信じることができる。

 3.ヨハネの福音書の目的(30-31節)

  .ぅ┘垢神の子キリストであることを信じるため。
   ※それを証明するためのしるしが7つ記されている。

  ▲ぅ┘垢鬟瓮轡△反じて、御名によっていのちを得るため。

                    (文責:小山淳也牧師)


2018年4月29日(日曜日)

「父がわたしを遣わされたように」ヨハネ20:19-23

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  「父がわたしを遣わされたように」ヨハネ20:19-23

 1.恐れる弟子たちの真ん中に(19-20節)

  恐れに支配され、霊の目を閉ざされていた弟子たちは、
  ガリラヤに向かうことなくエルサレムにとどまっていた。

  彼らはイエスの復活の預言を確信していなかったのである。
  恵みとあわれみ深い主イエスは、そのような弟子たちの
  前に姿を現し、彼らが復活を信じることができるように
  して下さった。

 2.派遣(21節)

 「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされた
  ように、わたしもあなたがたを遣わします。」

  イエスは、福音を宣べ伝えるために、父なる神によって
  この世に遣わされた。それと同じような関係がイエスと
  弟子たちとの間に起こった。
  弟子たちはイエスによって遣わされていく。
  キリスト者を宣教地に派遣するのはイエス・キリストである。

 3.聖霊によって(22-23節)

 「聖霊を受けなさい。」

  弟子たちはイエスによって聖霊を受け、聖霊によって
  宣教の働きは進んでいった。
  彼らの使命は罪の赦しである。
  もちろんそれは彼らの力ではなく神の権威による。
  彼らの役割は、神の権威によってなされたことを人々に
  宣言することである。
  私たちも、神の権威によってこの世に派遣されている。

  

                    (文責:小山淳也牧師)


2018年4月22日(日曜日)

「世から呼び出された私たち」

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 「世から呼び出された私たち」 牧師小山淳也

 「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの
  全地にわたり築き上げられて平安を得た。主を恐れ、
  聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増えていった。」
  使徒の働き9章31節

 「教会」の原語(ギリシャ語)は「evkklhsi,a(エクレシア)」
 です。
 これは「呼び出された人々」という意味です。
 教会とは建物(会堂)のことではなく、「神によって世から
 呼び出された人々」のことなのです。
 教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にとどまらず、
 全世界に築き上げられていきました(使徒1:8)。

 今から50年前、私たちの教会は名古屋聖書バプテスト教会から
 独立し、教会としての歩みが始まりました。

 そして、この50年間、多くの人々が教会に導かれ、
 イエス・キリストを信じ救われ、父、子、聖霊の名において
 バプテスマを授けられ、教会のメンバーに加えられました。

 初代教会と同様、私たちも世から呼び出された人々です。
 そして、私たちも聖霊に励まされて、これからも前進し続けるのです。

 そのために主は、私たちにビジョンを与え、進むべき道を示して
 下さっています。
 これまでの恵みに感謝しつつ、なお聖霊に導かれ、前進してまいりましょう。


2018年4月15日(日曜日)

「主にある交わりを持とう」汽茱魯1:3-7

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 「主にある交わりを持とう」汽茱魯1:3-7

 1.交わりとは何か

  聖書的交わりとは、主イエス・キリストにあって
  人生を共有すること。
  すなわち、キリストによって世から呼び出され、
  救われ、神の家族とされた者同士の親密な交わりで
  ある。

 2.交わりの内容

  ゝГ蝓吻競灰螢鵐1:11)

  ⊃仰(ローマ1:12)

  J仕(競灰螢鵐8:4)

  ざ貽顱吻汽撻謄4:13)

  ザ気─併氾2:42)

 3.聖書的交わりの基盤

 「私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリスト
  との交わりです。(3節)」

  他のクリスチャンとの交わりを持つためには、
  まずイエス・キリストとの交わりを持たなければ
  ならない。
  主イエスと深い交わりを持ち、主とともに歩むことに
  よって、他のクリスチャンとも良き交わりを持つこと
  ができるのである。
  そのために、私たちがまず取り組むべきことは、
  礼拝である。
  礼拝こそ、私たちが主イエスと交わる最も恵まれた
  時であると同時に、クリスチャン同士の最も良き
  交わりの時なのである。

                    (文責:小山淳也牧師)


2018年4月8日(日曜日)

「わたしはあなたの名を呼んだ」ヨハネ20:11-18

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  「わたしはあなたの名を呼んだ」ヨハネ20:11-18

 1.わからなかったマグダラのマリア(11-14節)

 「イエスが立っておられるのを見たが、それがイエスで
  あることが分からなかった(14節)」

  復活のイエスが目の前におられるのに、なぜわからな
  かったのか。
  一番の理由は、霊的な目が閉ざされていたことだろう。
 「イエスは死んだ。生きているはずがない」と
  思っていたのだろう。

 2.名前を呼ぶイエス(15-16節)

 「イエスは彼女に言われた。『マリア』(16節)」

  マグダラのマリアは「マリア」という呼びかけの声で、
  ようやくその人がイエスであることを悟った。
  イエスは私たちの名を呼んで下さるお方である(イザヤ43:1)。

 3.復活の証人となったマグダラのマリア(17-18節)

  マグダラのマリアは、復活の第一の証人となった。
  「私は主を見ました(18節)」
  福音の根幹は、キリストの死とよみがえりである。
  マグダラのマリアは、そのことを弟子たちに伝えた。
  つまり、彼女が第一の福音宣教者となったのである。

  神は、この世で弱いとされる者を、御業のために
  用いられる。
  同じように、主イエスは私たちの名前を呼び、
  罪から救い出して下さる。
  そして、私たちを御業のために用いて下さるのである。

                    (文責:小山淳也牧師)


2018年4月1日(日曜日)

「見て、信じた」ヨハネ20:1-10

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 「見て、信じた」ヨハネ20:1-10

 イエスは金曜の午前9時に十字架につき、
 午後3時に息を引き取った。
 そして、その日の日没前に墓に葬られた。
 そして三日目すなわち日曜の朝、イエスは復活した。

 1.マグダラのマリア(1-2節)

 「マグダラのマリアは墓にやって来て、墓から石が
  取りのけられているのを見た(1節)」

  マグダラのマリアは、墓から石が取りのけられて
  いるのを確認し、「だれかが主のからだを取って行った」
  と思った。

 2.ペテロとヨハネ(3-10節)

 「亜麻布が置いてあるのが見えたが、中に入らなかった(5節)」

  ヨハネは、亜麻布が置いてあるのを確認した。

 「亜麻布が置いてあるのを見た(6節)」

  ペテロも、亜麻布が置いてあるのを眺めた。

 「そして見て、信じた(8節)」

  ヨハネはよく見て、イエスの復活を信じた。

  私たちはイエスの復活を直接見ることはできないが、
  みことばを通して弟子たちの証言を見て、復活を
  信じることができる。

                    (文責:小山淳也牧師)


2018年3月25日(日曜日)

「御怒りを受けるイエス」マタイ27:45-50

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 「御怒りを受けるイエス」マタイ27:45-50

 1.全地が暗くなる(45節)

  十字架につけられたイエスは、正午から午後3時までは
  御怒りすなわち神の怒りを受けた。
  この時イエスは神の御子としてではなく、人間として、
  全人類の代表として十字架につき、神の怒りを受けて
  下さったのである。

 2.「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(46節)

 「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てに
  なったのですか」

  イエスが引用した詩篇22節は、メシヤ預言であると同時に、
  神に助けを求める祈りである。
  神の御子であるお方が「父」ではなく「わが神」と
  呼びかけている。
  この時イエスは父なる神との関係を絶たれ、罪人と同じように
  扱われていたのである。

 3.息を引き取るイエス(47-50節)

 「そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、
  息を引き取られた」

  ルカの福音書によれば、イエスは「父よ。わが霊を御手に
  ゆだねます」と叫んでいる(ルカ23:46)。
  この時、父なる神との関係は回復していたのである。
  つまり、イエスは肉体の死の前に霊的に死に、
  そして霊的に復活したのである。
  イエスを信じたクリスチャンは、イエスと共に十字架に
  つけられ、神の怒りを経験した。
  そして、イエスが神との関係を回復したように、私たちも
  イエスにあって神と和解したのである。

                    (文責:小山淳也牧師)


2018年3月11日(日曜日)

「クリスチャンの立場」ヤコブ1:18

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 「クリスチャンの立場」ヤコブ1:18

 1.新しく生まれた者(新生)

  イエスを信じる私たちが新しく生まれたのは、
  父なる神が熱心に願い、そのように計画して
  下さったからである。
  人はイエスの福音を聞き、それを信じることに
  よってのみ救われる。

 2.被造物の初穂

 「初穂」とは何か?

   その年の最初の収穫

   次に続く収穫を保証するもの

  初穂とは、イエスが復活した後、最初に新生した
  クリスチャンのこと。
  つまり、初代教会の人たちである。

 3.私たちは初穂に続く収穫

  新生すなわち救いのみわざは初代教会で終わることなく、
  現在まで続いている。
  私たちは、この流れ(福音宣教)の中で救われたのである。
  つまり私たちは、初穂に続く収穫、すなわち宣教の実である
  そして、福音宣教はこれからも続いていく。
  私たちを通して福音を聞き、主イエスを信じる人々が
  起こされ続けていく。
  収穫はまだまだ続くのである。
  イエスの御言葉を心に留めよう。

 「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、
  収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。
  (マタイ9:37-38)」

                    (文責:小山淳也牧師)


2018年3月4日(日曜日)

「だまされないようにしなさい」ヤコブ1:13-17

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 「だまされないようにしなさい」ヤコブ1:13-17

 1.神は誘惑しない(13 節)

  「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、
   と言ってはいけません。」

  神は義なるお方である。悪とは全く関係のない神が、
  人に罪を犯すよう誘惑することは決してない。

 2.誘惑は、人の内側の問題である(14-15 節)

   自分の欲

   欲に引かれ、おびき寄せられる

   欲がはらみ、罪を生む

   罪が熟すると、死を生む

  誘惑を受けることが悪いのではない。
  問題は、誘惑を受けた時に欲を満たすことを優先し、
  それに乗ってしまうこと(まで進むこと)。
  それは、その人の内側の問題である。

 3.だまされないようにしなさい(16-17 節)

  「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は
   上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。」

  父なる神が私たちに下さるものは、全て良いものである。
  しかし、私たちが誘惑を受ける時、そこに疑いを持ちそうに
  なってしまう。
  これはサタンの常套手段である。だまされてはならない。

                     (文責:小山淳也牧師)


2018年2月25日(日曜日)

「葬られるイエス」ヨハネ19:38-42

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 「葬られるイエス」ヨハネ19:38-42

 通常、十字架刑に処せられた遺体はローマ兵によって
 処理されるが、ここで、二人のユダヤ人信仰者が登場する。

 1.アリマタヤのヨセフ(38 節)

  彼はユダヤ議会(サンヘドリン)の有力な議員だった。
  イエスの弟子でありながらユダヤ人たちを恐れてそのことを
  隠していたが、彼は思い切ってピラトにイエスの遺体の引き
  渡しを願った。

 2.ニコデモ(39 節)

  「前に、夜イエスのところに来たニコデモ」
  ユダヤ教の神学校の校長であり、ユダヤ議会の議員でも
  ある彼も、この時イエスの埋葬のためにやって来た。

 3.イエスの埋葬(40-42 節)

  イエスは、アリマタヤのヨセフが所有する墓に葬られた。
  イエスの受難はこれで終わり。次にイエスが現れるのは
  復活の時である。
  イエスの埋葬は、言わば復活への備えである。
  アリマタヤのヨセフとニコデモは、イエスの埋葬を通して、
  自分たちの信仰を公に証しした。
  彼らは、自分が築き上げてきた地位や名誉を守ることよりも、
  主イエス・キリストを愛し、弟子として歩んでいくことを
  選んだのである。

                   (文責:小山淳也牧師)


2018年2月18日(日曜日)

「イエスの死」ヨハネ19:31-37

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 「イエスの死」ヨハネ19:31-37

 1.大いなる安息日を前に(31 節)

 「その安息日は大いなる日であったので」

  ユダヤ人たちは、過越の祭りと重なる安息日を前に、
  早く死体を片付けようとしたが、ここに彼らの欺瞞(ぎまん)
  がある。
  彼らは安息日の主であるお方を十字架にかけておきながら、
  安息日を守ろうとしていたのである。
  彼らの信仰には中身がない。形式的信仰である。

 2.イエスの状態(32-34 節)

   折られなかったすね
   他の二人の囚人はまだ息があった。
   しかしイエスは、この時すでに息がなかった。

   わき腹から出た血と水
   念のためローマ兵がイエスにとどめを刺したところ、
   ただちに血と水が出てきた。
   これらのことから、イエスが十字架上で間違いなく
   死んだことがわかる。
   「仮死説」は誤りである。

 3.預言の成就(35-37 節)

  これらのことは、旧約聖書に預言されているメシヤ預言の
  成就である(出エジプト12:46、ゼカリヤ12:10)。

                   (文責:小山淳也牧師)


2018年2月11日(日曜日)

「十字架上のことば◆愆偉擦靴拭戞廛茱魯19:28-30

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 「十字架上のことば◆愆偉擦靴拭戞廛茱魯19:28-30

 1.聖書が成就するために(28-29 節)

  「イエスは、すべてのことが完了したのを知って、
   聖書が成就するために『わたしは渇く』と言われた」

  イエスは、詩篇69:21 のメシヤ預言の成就のために
  酸いぶどう酒(酢)を飲んだ。
  イエスは、すべて聖書のおことば通りになさったのである。

 2.「完了した」(30 節)

  「完了した」とは、支払われるべき負債が完済された
  ことを表すことば。
  イエスは、罪人が赦されるための霊的負債を完全に
  支払って下さったのである。
  そしてイエスは「霊をお渡しになった。」
  イエスは罪人の身代わりとして、ご自分から進んで
  いのちを差し出して下さったのである。

 3.何が完了したのか

  ・受難の完了
   イエスの苦しみは、これで終わった。
   十字架での苦しみだけでなく、サタンによる攻撃も、
   罪人たちからの攻撃も、全て終わった。

  ・贖いの完了
   イエスを信じる者は神の御前に一切の罪の負債を
   免除される。
   完全に赦されるのである。

                   (文責:小山淳也牧師)


2018年2月4日(日曜日)

「十字架上のことば 母マリヤとヨハネへ」ヨハネ19:25-27

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 「十字架上のことば 母マリヤとヨハネへ」ヨハネ19:25-27

 1.十字架のそばにいた人たち(25 節)

  「イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、
   クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。」

  「イエスの母」すなわちマリヤにとって、イエスはメシヤで
  あると同時に息子でもある。
  彼女の心は、剣で刺し貫かれるような痛みの中にあったのだ
  (ルカ2:34-35)。

 2.母マリヤへの配慮(26-27 節)

  「女の方。そこに、あなたの息子がいます」
  「そこに、あなたの母がいます」

  イエスは母マリヤのお世話を愛する弟子(ヨハネ)にゆだねた。
  マリヤの行く末を案じたのだろう。
  イエスは私たちのことを心配し、配慮して下さるお方である。

 3.マリヤの子イエスではなく、神の御子イエス

  この時、イエスとマリヤの間の、母と息子としての関係は
  終わりを迎えようとしていた。
  十字架の死、そして復活によって、イエスはマリヤにとっても
  主イエスとなる。
  そのことを示すために、イエスはあえてマリヤに「女の方」と
  呼びかけたのである。
  その後、マリヤはイエスのことを自分の息子としてではなく、
  救い主として信じ、他の弟子たちと心を合わせて祈っていた
  (使徒1:12-14)。
  イエスを主と信じる者は幸いである。

                   (文責:小山淳也牧師)


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